天与の花

杉浦先生から頂いた2月の言霊です。
教員生活最後の授業・・生徒に渡しました。

昔むかし、あるところに一粒の花の種がありました。お百姓は、来年の春になつたら蒔こうと種を袋に入れて納屋にしまったきり、この種のことをすっかり忘れてしまいました。

納屋の中は、時には焼けつくように暑く、また、時には凍てつくほど寒い日もあったので、種は次第に衰弱し、自分がどんな植物でどのような花をつけるのか憶えていられなくなってしまいました。

何回目かの春が巡ってきました。ある日納屋の片付けに来たお百姓は、この種を見つけ、今年こそは蒔いてみようと思うのでした。実を言うと、お百姓にも、どんな花なのか憶い出せなかったのですけれど。

お百姓は毎日やって来て、「早く芽を出せ」と急せました。種は慌てて芽をのぞかせました。お百姓は「もっと、もっと大きくなれ」とわめきました。双葉は 急いで背伸びしました。お百姓が「枝を張れ、葉を茂らすのだ」と命じたので、 苗は頑張って枝を広げました。「枝ぶりが優雅でない」と文句を言われて、枝 は精一杯しなを作りました。

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お百姓は「花を咲かせろ」と言い募りました。枝は可憐な花をソッと咲かせました。だが、お百姓は「もっと大きく華やかで、もっと美しい花をつけるのだ」と言うが早いか、その花を無残にも摘みとってしまったのです。

木は余りの痛さに気を失いました。だが、お百娃は、その木を揺すぶり起こして言いました。「私が望むような花を咲かせないのなら、お前を根こぎにしてやる」と。

「まだ、死にたくない、どうぞ生かして下さい」植物は泣いて頼みました。そして望み通りの花を咲かせようと誓うのでした。

花は美しく咲き、道行く人に愛想よい笑顔を振りまきました。誰もがこの花を愛し、その優雅さを讃えました。だが、無理にしなを作っている苦しみや花を摘 まれた痛みを押し殺していた植物は、次第に感じる心を失っていったのでした。ふと心に虚しさが忍び寄りました。こうまでして生きていて何になるというので しょう。急に張りつめていた心の糸が切れる思いに、花は生気を失って萎え、葉は枯れて落ち始めました。お百姓はこれを引き抜き、道端に打ち捨てました。真 夏の暑い昼下がりのことでした。

通りかかった旅の若者が、この木を見つけ、だいじに持ち帰って自分の庭に植えました。畑を耕したっぶり水を与えて、「ゆっくり身も心も癒しなさい」と言 うのでした。若者は夏に植えかえたこの木に「夏生」と名づけ、「充分時間をかけて、本当のお前として育ち、お前の花を咲かせるのだよ」とやさしく言いまし た。

生まれて初めて、自分らしく生きることを許された−−それは何と喜ばしくも、恐ろしいことなのでしょう。人の命令に従うことも、誰かの真似をすることも出来ない
のですから。

春になり、あたりは美しい花が色とりどりに咲き、秋にはみごとな果実を結んでも、夏生は相変らず丸裸。でも若者は、毎日やって来ては水をくれ、しばし腰 を下ろして行くのです。「していただくばかりで、何のお返しも出来ないのが、心苦しくてなりません」「いやいや、私はこうしてお前と共にいるのが嬉しいの だよ」

夏生はほとほと情なく思いました。自分で自分が何だか解らない–どうなりたいのか解らないなんて、何と悲しいことでしょう。長いこと押し殺して、感じ るのを自分に許してこなかって痛みが、苦しみが、怒りが、嘆き憤りが心の底から湧き上がり、涙と共に溢れ出てきて、思いっきり声をあげて泣きました。これ まで一度だってしてこないことでした。

泣くだけ泣くと、痛みや苦しみが静かに去り、生きている喜びや、若者への愛、青く澄みきった空に浮かぶ雲の美しさへの感動で心が震えるのでした。「ああ、私にも感じる心があった。」

ゆっくりと、だが、確実に生命の息吹きが感じられました。この小さな生命に宿っている天与の花が、やがては咲く日も来るでしょう。

カテゴリー: 2011年   パーマリンク

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