連続巨大地震   

1853年ペリーが4隻の黒船とともに浦賀に現れたその年の331日、小田原地震が発生した。その翌年1854年の79日の午前2時〜8時にかけ三重県周辺でM7前後の地震が3回次々起こり千数百人が死亡した。日米和親条約が結ばれ鎖国体制が崩壊した年である。

 その年の暮れもせまる1223日午前10時頃、東北地方南部から中国、四国に至るまで震度4以上というM 8.4の巨大地震、安政東海地震が起きたのである。山崩れや津波の為、多数の死傷者が出た。その時、開国を求めにきていた帝政ロシアの提督プチャーチンの乗るディアナ号も伊豆下田で7mの津波の為に大破してしまった。

 そして、なんとその30時間後の1224日の夕暮、M 8.4の安政南海地震が起きたのである。紀伊半島南部から四国南部まで震度6以上というこの地震は遠く中国の

上海まで振動が感じられたという。我々には想像できない連続巨大地震の発生である。しかしそれだけでは終わらなかった。

 翌年18551111日、M 6.9という最悪の都市直下型地震である安政江戸地震が発生し、4千人以上の人が亡くなった。その後の復旧の為、幕府や諸大名は財政が

圧迫され、幕藩体制崩壊が加速されたのである。その後日本各地で地震が発生し、18911028日には、愛知、岐阜県で内陸としては最大級のM 8.0の濃尾地震が起きた。死者7200名以上、倒壊家屋14万以上という大災害であった。またその後も地震は続き、1923年のM7.9の関東大地震まで大地動乱の時代が続くのである。この地震は

1703年の元禄関東大地震以来、220年間たまりにたまった南関東のひずみ

エネルギーが一挙に開放されたすさまじい地震であった。        

     参考文献 岩波新書 石橋克彦著 大地動乱の時代より