神戸現地調査を終えて  

 825日、私は6カ月ぶりに神戸市二宮小のグランドに立っていた。少し白っぽい煉瓦色をした校庭には、私達の他、誰もいない。あのテントも風呂もトイレも何の跡形もなかった。強烈な日差しだけがそこにあった。神戸に釆て3日、話を聞く度に私の心は重たくなっていった。迫り来る火を前に、倒壊した家屋から生き埋めになった人を助けることもできずに呆然と立ち早くす人々、家族の安否確認もできないまま水の出ない困難な状況で消火活動にあたる消防隊員の話、緑のないトタン屋根の仮設住宅での独居老人の孤独死、自殺、そして圧死による遺体を教職員が洗い清めていった事、災害弱者という言葉も初めて知った。そして、今回30余万の被災者の6割は学校に避難したという事実を我々教職員は認識しなければならない。しかし、あの地震以降、学校現場は何が変わったというのであろうか。厚木東高校では来年度、普通教室に筋かいを入れる補強工事が始まる。しかし、災害用品の備蓄は市町村に任されているのである。東海、南関東、小田原直下と地震が迫りつつある状況なのに、水の備蓄さえない。県教委に提出したボランティア報告書は読んでもらえたのであろうか、校長の要請で職員会議で報告したが、真撃に受け止めてもらえたのであろうか。私も含め、この大災害が対岸の火事となっていくのではないかと思うと、5千人以上の命が失われ、いまだに多くの人が困窮生活を送っている現実にいたたまれなくなったのです。

 しかし、二宮小の上田先生が何気なく言った、『人間って素晴らしいですね。』の一言に深く感銘を受け、当時の頃を思い出しました。震災1カ月後、神戸はまだ混乱の中にありました。食料、衣料の取り合い、喧嘩、生きる気力をなくした老人、そして次から次へとボランティアの要請に休む暇がありませんでした。

217日正午、サイレンの音とともに犠牲者を忍び、黙祷する人々の姿は一生忘れることはできないでしょう。たったの45日でしたが、ボランティア達とは何年も前から一緒だったという不思議な連帯感が生まれました。そして、その絆は私の一生の宝物となっています。

 善意の行為の中に人生にとって、限りなく大切なものがあるという当たり前のことをやっと気づいたような気がします。神嘉川の]デーが来る前に一人の命でも多く助ける事ができるような防災対策と災害ボランティア組織の確立をしなければ、また神戸と同じ轍を踏むことになるのです。この大震災をふり返る事は、将来に対する責任を担うことです。

 そして、今画のボランティアで私は組合活動を見直す事ができました。参加した60数名の人々、そしてバックアップしてくれた8千数百名の組合員の支援がなければ、救援活動はできなかったのです。個人としてのボランティアには時間的な限界がありますが、組織としての活動には継続性があります。二宮小ではお風呂の管理という我々にすべてを任された仕事がありました。あの混乱期の運営は我々の存在がかな

り役に立ったといっても過言ではないと思います。今年はボランティア元年だという話もありました。今回の震災ボランティアで特徴的なことは、『ごく普通の人々が心に不安を感じながらも多く参加したことである。』とある先生は指摘されました。私も同感なのです。使命感でも、慈善活動でも何でもない、ただ人間として当たりまえの事をした。人間の善意にふれられたという事が本当に素晴らしかったのです。

 大地動乱の時代を迎えた今、我々に残されている時間はあとわずかなのです。